作者のシルヴァスタインが、だめな人と、だめでない人のために贈る物語。
何かが足りない、自分に足りないかけらを探しに行く旅。
ころころ転がりながら、歌いながら、ボクは何か欠けているから、
上手く転がれない。
途中道で会ったミミズと話したり、花の香りをかいだり、
かぶとむしに追い越されたり、
雨の日も、晴れた日も、雪の降る寒い日も、僕は転がり続ける。
とうとう、かけらを見つけた。
でも小さすぎて、すぐにはずれてしまった。
次に見つけたかけらは大きすぎた。
ようやくぴったりなかけらを見つけたと思ったら、
落としてしまった。
もう落とさないようにと、くわえ過ぎたら、壊れてしまった。
旅を続けていると、ようやくまたぴったりのかけらを見つけた。
ぼくは転がり続ける、綺麗な丸になったから、坂道もすごいスピードが出る。
もう立ち止まれない。
綺麗なお花も、景色も、一緒に旅した虫たちも見ることができないほど、
もう楽しい歌も歌う余裕がないほどに、よく転がる。
僕はぴったりのかけらを、そっと置いて、
また何か欠けているボクに戻って、一人でゆっくり歌いながら転がり始めた。
シンプルなおおきな白の余白の中に、黒い線だけで描かれる絵。
小さな子どもでも、絵を追うだけで面白い。
何をしているのか、なんとなくわかる。
自分に欠けている何を探しに、欠けている何かを埋めようとする。
それは恋人なのかもしれないし、家族、友人なのかもしれないし、
知識や、才能、能力かもしれないし、お金やモノなのかもしれない。
自分に欠けている何かを追い求め、転がり進んで、
自分にピッタリなかけらを見つけるけども、
形が合わなかったり、大きかったり、小さかったり、
そして探し求めていくうちに、本当にピッタリなかけらを見つける。
綺麗な丸になったのに、転がるスピードも速くなったのに、
歌が歌えなくなって、手放し、また一人に。
自分に欠けているものを誰かに、埋めてもらうのは、違うって気づいたのかもしれないし、
そもそもみんな欠けているのが当たり前で、欠けているからこそ、
素晴らしいんだと気づいたのかもしれない。
カケラはいつも自分の中に、あるのかもしれない。
シンプルなだけに、どのような解釈もでき、その人の自由。
人生で時間を置いて、また読み返したら、その時によって、
解釈が変わってくるように思います(*^-^*)
子どもは面白いと言って、分厚い絵本ながら、最後まで集中して見ていました☆彡
《著者紹介》
シカゴ生まれ。作家、イラストレーター、歌を作りギターも弾く。カウボーイ・ハットを愛し、いつもジーンズ姿でいる自由人。『歩道の終わるところ』(講談社刊)など作品各種。1999年没。
【作・絵:シェル・シルヴァスタイン 訳:倉橋由美子 出版社:講談社】