パパと思春期の入口にたった私の、遠からず近からずな微妙な関係性を
詩的な言葉で綴っている絵本。
時々パパと一緒にいたくなる。話したくなる。遊びたくなる。
でも、そのときパパは仕事をしていたり、話せなかったり、一緒にいれなかったり。
パパも私も、ときどき一緒にいたくなる。
一緒にいたくないときもある。
いっしょにいても、お互いに何も言葉を交わさないこともある。
ときどき、私が知りたいことを、聞かなくても、そっと教えてくれることもある。
一緒にみつけたものに、二人で名前をつける。
パパが私に話したいときに、私は話したくない。
ときどきね。
大切で、大好きな存在なのに、となりに行けないときもある。
一緒にいれないときも、話す時間がないときも、
ずっと変わらず愛している。
そんな不器用な二人の関係を、そっと代弁して包み込んでくれるような作品。
思春期を迎えた娘を持つお父さんや、
また思春期を迎えてパパとうまく話せなくなった私に、
そして、そんな言葉では表しがたい時期を通りすぎた大人たちに、
読んでほしい一冊です(*^-^*)
でもパパと私で一緒に読める作品ではないかもしれません。
ひとりで読みたいようなちょっと、くすぐったい作品かもしれません。
感情の機微が大人向けの絵本になっているんですが、
女の子の設定も大人の一歩手前の設定なのだろうと推測できますが、
絵の中で、積み木で遊んでいる、あどけない姿が出てきたりして、
いい意味で違和感があります。
きっと子どもと大人の狭間、境界線に立った女の子の心情を描いているのでは
考察しました(*^-^*)♪
手が届きそうで、届かない距離、
みんなが通り過ぎていく気持ちに焦点をあてた作品になっています。
【 作:マリア・ウェレニケ 訳:宇野和美 出版社:光村教育図書】